私の履歴書⑬堀久作(昭和31年6月掲載)

堀久作(ほりきゅうさく)1900年~1974

 昭和時代の経営者。映画会社日活の元社長。日本活動写真(のちの日活)に入り、昭和20年社長。制作・配給・興業の一環経営体制を復活させ、日活の黄金時代を築く。

 1900年(明治33)東京都上野に生まれる。8才の時父を亡くし、母親一人で育てられる。ささやかな荒物商を営んでいたが、生活は苦しかった。苦学の末大倉高商(現在の東京経済大学)を出た。

 父の遺言に人生における影響を受ける。「お前が世の中に出て、もし食うのに事欠くことがあっても、決して物を質に入れてはならない。質に入れるほど困ったことが起きたら着物でも売ってしまえ。売ってしまって悔しかったら、それ以上のものをつくるように努力しろ。着物でも同じ着るならいいものを着ろ。悪いものは決して着るな。」である。

 卒業後は就職し、事業も起こすが競争が激しく失敗し撤退する。その後松方乙彦(東京瓦斯の常務など企業家として活躍)の秘書になる。松方社長の下映画会社日活の再建に乗り出す。再建策として、1.日活映画のオールトーキー化、2.直営網の拡張、を行い生き返る。黄金時代が続くが、その後ワンマン経営が裏目に出て日活の業績不振で46年社長を退く。

 

 ◎事業哲学

 「私の企業哲学は借入金によってモノを作るときは、必ず良いものを作ろうという ことだ。金を借りて悪いものを作ったら回収がつかない。二つとしてない良いも  の、後で真似の出来ない物をつくること、これが事業の要諦である。中途半端なこ とをやっては駄目である。」

 

 

 (まとめ:パワーポイント10枚、講義30分)