私の履歴書⑫中山均(昭和31年9月掲載)

中山均(なかやまひとし)1886年~1966

 経営者、静岡銀行頭取。早稲田大学卒業後、第百銀行を経て浜松銀行入社する。西遠銀行をはじめとして大小の銀行120行を合併して静岡銀行設立に尽力。

 1886遠州浜松在(現:浜松市三島町)に父誠一、母よしの兄弟5人の真ん中で一人息子として生まれる。父は1883年頃浜松銀行を設立した。

 1908年早稲田大学を卒業すると、父から「人間は学校を出ただけでは駄目だ。誰か偉い人について、みっちり修業しなきゃいかん」と言われ、 金原明善氏に師事。金原氏は天竜川の治水事業、北海道開拓・植林事業など近代日本の発展に活躍した人物であり徹底した合理主義を実践した人である。その後父の経営する浜松銀行に入社する。厳正中立の下、地方産業の育成に務めた。

 静岡県には銀行が150余行あり、規模が小さく競争が激しく経営的に不安であった。故にその後1914年には浜松銀行と西遠銀行の合併、1920年には西遠銀行と資産銀行の合併で遠州銀行になり、さらに静岡三十五銀行と遠州銀行の合併し静岡銀行が設立された。

 

 ◎一生一義主義

   「人間、ひとつの仕事に専念していると、よほどの馬鹿か、異常者でなかったら、自分の打込んでいる仕事に興味を持つようになるものだ。だから私は神様か、天才でもない限り、人は一生一業で貫いた方が、当人のためにも国家のためにもなると固く信じている。」

 

 

  (まとめ:パワーポイント12枚。講演:30分)