私の履歴書①石坂泰三(昭和32年1月掲載)

 ■石坂泰三(1886年~1975年)

 日本の財界人・経営者である。出身は東京都牛込、東京帝国大学卒業後、逓信省に入省する。第一生命・東芝の社長を歴任する。

 1886年石坂義雄・ことの八人兄弟の三男として東京都牛込に生まれる。裕福ではないが平和な中産家庭であった。中学において,一生でただ一度の落第を経験する。

 高等学校時代の経験が「我が身の血となり肉になって、知らぬまに何かの役に立っている」と振り返る。それは“古典の香り”で、古事記奈良時代の歴史書)、宣命(天皇の命令を伝える文書)、風土記(地方別にその風土・文化を記した書物)、祝詞(神仏に捧げる謡)から学んだことである。

 1904帝国大学を卒業するが秀才の道ではなく、大きな集団や組織の末端にいるより、小さくても良いから長となって重んじられたかったから逓信省を選んだ。しかし、官史生活の前途に迷いがあり、いつか見切りを付けようとしており、29才のとき退省する。

 1915年第一生命保険相互会社に入り矢野恒太社長の秘書になることが機縁となる。矢野は第一生命保険創業者で、生命保険業界の基礎を築いた実業家である。1938年に石坂が社長に就任する。1947年に矢野一郎が社長に就任するまで続く。

 1948年東芝に経営再建のため取締役として赴任し、翌年社長になる。当時東芝は大労働紛争のため労使が激突し倒産の危機があった。組合と真正面から交渉し、6,500人ほどの人員整理を行い,東芝再建に成功した。1956経団連会長になる。

 【経営の秘訣なんてない】

 「経営者のあり方などよく質問を受けるが、私に言わせば経営に秘訣などなしだ。よく勉強すること、これが経営者の任務。私は経営学をバカにしているわけじゃありません。読んだことはないが、立派なことが書いてあるんでしょう。しかし、なにか大変な秘訣が書いてあるだろうなんて思ったことは一度もない。そんなもの、もともとありっこないですよ。」                                                                                       ≪終わり≫

 

(まとめ:パワーポイント15枚、講演30分)