私の履歴書⑥杉道助(昭和31年6月掲載)

杉道助(1884年~1964年)

 1884年山口県山口市に父相次郎、母滝子の長男として生まれる。吉田松陰の実兄杉民治の孫にあたる。父は杉家の婿養子で県庁勤務で割合裕福な暮らしの中で育てられた。中学時代は松陰の残した書簡や書物を読み、祖父民治からその人となり、思想について教えられた。

慶應義塾を卒業し、久原鉱業所(後の日立鉱山、現:JXホールディングス)に入社する。

 1910年大阪の綿糸布問屋八木商店の創業者八木与三郎の義と結婚し婿養子に入る。八木商店の社長や各種事業の経営に関係し、戦後新たに発足した大阪商工会議所の会頭に就任する。

 大阪の復興が日本の経済発展、国力の回復に寄与するところが大きいと思い1956年府・市・財界が一体になって「大阪経済振興連絡協議会」を作り、新しい大阪を目指した。

当初から杉には財界活動に適する素地があり、後半生は大阪商工会議所とともにあった。大阪発展の基礎を築いたのは彼によるところが大きい。

 彼は明治の末から五十余年間大阪に住み着き、大阪を愛し、その愛する大阪で八十年の長い生涯を閉じた。

 

 ◎至誠の教訓(松陰の精神に学ぶ)

  「『至誠にして動かざるものは,未だこれあらざるなり』、そのためには決して嘘をつかない。胸にやましいことがあって、夜眠れないことはするな。『誠あればすなわち生き、誠なければすなわち死す』」

 

  (まとめ:パワーポイント20枚、講義30分)

 

                           以上