私の履歴書⑦堤康次郎(昭和31年7月掲載)

堤康次郎1889年~1964年)

 実業家、政治家、西武鉄道西武百貨店などの有数の企業を擁す西武グループの創始者。

 1889年滋賀県愛知郡八木荘村(現:愛荘町)で農業を営む楢次郎・みをの長男として生まれる。父親は5才の時急死し、母は再婚し、祖父の清左衛門に育てられる。幼児期における母親の愛情欠如は傷の深さである。小学校での成績は優秀で、彦根中学にも推薦入学するが、家のことを考え野良仕事を始めた。

 祖父がなくなり、政治を目指すことにエネルギーを傾け、1909年早稲田大学高等予備第一(政治経済学部の予科)に入学した。学生時代から政治家になるには資金作りが必要と考え、多くの事業を行なった。肥料販売・耕地整理・郵便局・鉄工所・石炭の掘り出し・海運事業など多くの事業を行うが、失敗は数知れなかった。

 1917年からは中産階級のために、土地開発をはじめとするサービスの提供を行い始めた。不毛の地の軽井沢開発、箱根開発などを行った。また沿線開発として鉄道にも力をいれ、武蔵野鉄道、多摩湖鉄道、近江鉄度経営にも乗り出した。戦後は武蔵野鉄道が旧西武鉄道を吸収合併し、西武鉄道が誕生した。資本的発展の余力で断然他社を圧倒していた。

 康次郎の女性関係は尋常の域を超えていた。お手伝いさんから旧華族まで、女と名のつくものであれば手当たりしだいであった。生涯に4人の女性から五男二女の7人の腹違いの兄弟が生まれた。

 

  ◎儲けようと考えると儲けられない(いろいろな商売に手を出すがことごとく失敗した後の発言)

  「自分は生きている値打ちのない人間だとまで思った。思い悩んだ末に考えついたのが『儲けようと考えるのがいけない』ということであった。自分は儲けなくてもいいから、この世のために少しでもできるだけのことをしようという奉仕の心だった」

 

 

  (まとめ パワーポイント38枚、講義:45分)