私の履歴書⑤五島慶太(昭和31年1月掲載)

五島慶太1882年~1959年)

 長野県小県郡青木村という片田舎に水呑百姓の次男として生まれる。両親の仏教に対する深い信仰の影響を子供ながらに受け、南妙法蓮華経と唱えることにより、いかなる苦難にも打ち勝つことができるという確信を心の底に持つようになった。

 家計は楽な状態ではなく代用職員などしながら東京帝国大学法科を卒業する。卒業後農商務省に入り他の部署などの移動で9年間官史生活を送る。しかし浮き草のような役人生活に嫌気がさし、半面実業界は自分の心に適した事業を起こし、これを育て上げ、年老いてその成果を楽しむことができると考えた。

実業界では武蔵電気鉄道、目黒蒲田鉄道、池上電鉄、玉川電鉄、東京横浜電鉄で要職を歴任する。1920年には日本最初の地下鉄を走らせた東京地下鉄道を創立した。その後も京浜電気鉄道、小田原急行鉄道、相模鉄道、に携わった。

彼は、強引な企業買収で知られているものの、東映の再建、伊豆半島や北海道の開発、洗足田園都市を発端にした多摩田園都市の開発など、その壮大な事業構想は、企業家として高く評価されるものである。また、小林一三からは私鉄経営について多くを学び、ターミナルであった渋谷駅にデパートを設置したことや田園都市を開発したのは、小林の手法を模倣したものであろう。

しかし、小林が官僚の天下りを嫌ったのに対し、五島はその政治力を積極的に利用して事業を推し進めようとするなど、官僚出身者であるが故といった面も見られることがあった。

 

『金儲けは易いが、経営はむつかしい』

  金儲けは易いが、経営は違う。世の為になって利益を上げるのが経営だ。だから経営はむつかしい。

 

 

(まとめ:パワーポイント34枚、講義45分)        以上